「電脳オヤジへの道」原本入手する!

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 ウエルパパススタッフ裏筋より、「永田一太郎」氏の「電脳オヤジへの道」の元原稿を入手することに成功した。この記事はウエルパパスの2001年2月35号から2002年5月50号までの15回続いた。そのうち2回ほどとんだりしていたが、ほぼ毎号掲載されていた。反響は上々で、読者の声でも何回も取り上げられた。  50号で最終回となったのは、ライターの入れ替えがあったからだ。スタッフの話によると、2002年度より、本家の中日新聞からの補助金がカットとなり、ぱぱすは自己資金によって発刊をすることになったそうだ。それに向け姉妹紙である「うえるみーず」や「うえるきっず」などが廃刊されぱぱすに統合された。そして、それぞれの記事の看板ライターがぱぱすで、隔月程度に投稿する事となり限られた紙面の関係で電脳オヤジは打ち切りとなったわけだ。
 しかし、ぱぱすスタッフは読者からの反響もよいこの記事をリストラすることにかなり迷いがあったようだが、いずれ特別編という形で復活させたいという、構想を持ちつつ惜しまれながら、終了した。そして今現在も、特別編は世に出ていない。しかし、私はある特別なルートから永田氏と接触することができ、その原本をここに掲載することを快く、同意してくれた。またさらには、最終回以降書き溜めていた記事を厳選して載せていくことにも快諾してくれた。私はこの記事がとても好きであったのでこのページにおいて、ぱぱすでなしえなかった、電脳オヤジの続編掲載を試みたい。まずは、原本の掲載から、そして続編はその原稿が届いた段階から順次掲載していこう。


題    名


第1回  「電脳(パソコン)か電脳航法装置(カーナビ) 35号掲載
第2回  「電脳家電仕様書」 36号掲載
第3回  「電脳オヤジのご意見番(店員編)」 37号掲載
第4回  「セットアップだ増設だ」 38号掲載
第5回  「イン(淫)ターネット」 39号掲載
第6回  「ジェロニモ」 40号掲載
第7回  「セコテクノシンジケート」 41号掲載
第8回  「手込め庄屋娘」 42号掲載
第9回  「ニンジャ」 43号掲載
第10回 「史上最強ゲームツール」 44号掲載
第11回 「マックなひとたち」 45号掲載
第12回 「プロキシ」 46号掲載
第13回 「こ、これは」 47号掲載
第14回 「吹き出物」 49号掲載
最終回 「そしてアナログへ」 50号掲載
第?回


電脳オヤジへの道

電脳(パソコン)か電脳航法装置(カーナビ)か

 20世紀末、私は迷っていた。パソコンかカーナビか?

 私はかねてより、カーナビが欲しいと思っていた。私の楽しみは、週末のドライブであり、また、その日は朝早く起きて、愛車を丹念に洗車することであった。早朝の洗車はドライブを楽しむための儀式であり、ここからスタートしないと休日は始まらないのだ。ところで、妻は私のこの儀式を快く思っていない。どうも、女の井戸端会議で「あー、あの朝早く車を洗っていらっしゃるご主人ね」といわれるのがいやらしい。しかし私はそんなことはお構いなしにせっせと早朝からクルマ磨きに精を出していた。

 カーナビはこんな私の楽しみさらに広げてくれるだろう。しかし、こいつは全て揃えると、工賃込みで、30万近くかかってしまう。しかも性能は日進月歩、半年後にはどんどん新しいモデルが出てくるのだ。それでつい買いあぐねていた。

そうこうしているうちに、パソコンも購入候補のひとつになった。

 職場であることが起こってから、「パソコンも買わにゃ」と思うようになったのだ。

あの日はいつものごとくなれない手つきでパソコンの打ち込みをやっていた。私は、必要最小限度の操作はできるが、ちょっと異変が起こるともうお手上げで、すぐに近くの若いやつに助けてもらうのである。あの時は確か、パソコンがうんともすんとも反応しなくなったのだ。どこをどう押しても、画面が凍り付いてなんともならない。それでいつものように、若いやつに助けてもらおうと、周りを見渡したのだが、いつも助けてくれるやつはいなかった。進退窮まった私は、「困ったなぁー、うんともすんともならんぞ、こんなことははじめてだ、どうなっているんだこんちくしょう」などと画面に向かってわめいていた。そうしたら窓際の今年定年というおじさんが、心配して寄ってきた。このお方は、わが職場では、「押し花奥の院」といわれる少しオカマっぽいおじさまである。この人の趣味は、押し花をあしらったノートに詩を書き綴るというもので、小指を立てしなしなと歩き、語尾に「ですわよ」とか「じゃないかしら」などとつける御仁である。

 彼女、じゃなかった彼は画面を一目見るなり、「あらあら、フリーズしているわね、きっと、ビジーで応答なしということよ」「こうゆう時はね、Ctrl+Alt+Delキーを同時に押して強制終了するのよ。そして再起動すればきっとよくなるわ」と教えてくれた。私はこのおじさまの言葉のほとんどを理解することは出来なかった。ただぽかんと口を開けて、3つのキーを押したのだ。しかしパソコンは反応しない。「あれーなんともならないぞ」と独り言を言うと、おじさまは、「あのね、3つのキーを押すときにおまじないをするのよ。「パソちゃん、そんなにお忙しいのならもう一度出直してきてね、待ってるわ」ってね。そして慈しむようにやさしく3つのキーをゆっくり何度か同時に押して御覧なさい、きっと願いが通じて、再起動してくれるはずよ」と、私の耳元で生暖かい息を吹きかけつつ囁いた。(私はからだがごっついので、このおじさまからの覚えはよいのである)私は若干、首筋に鳥肌を立つつおじさまの言われるままにおまじないを唱えながらキーを何度か押した。そうしたら画面がいったん暗くなって、再起動し始めたのである。彼はさらに「フリーズしたときは、いきなりスイッチを切るという手もあるけれど、それはとてもパソちゃんには過酷なことなのね。うまくいかないからって、鞭を打つようなことなのよ。そんなことやっているとパソちゃんは、身体を壊すわ。やさしく扱ってやってね」といわれたのである。私は、「はい、わかりました。肝に銘じておきます」と答え丁寧に御礼をして作業を再開したのだ。

 私はこの時、少なからぬ焦りを感じた。まだ働き盛りのオヤジである私は明らかにあの「押し花奥の院」のおじさまに遅れをとっている。このままでは21世紀の時代の流れに乗り遅れてしまう。それで「いずれパソコンを買わにゃならんな」とその時思ったのである。

 私は、世紀末にカーナビかパソコンかの2つのうちのどちらかの究極の選択を迫られた。カーナビ=レジャー。パソコン=仕事。ということになるとやはりレジャーを優先すべきか。あるいは21世紀の流れに乗るためにパソコンを始めるべきか。

そこで私はパソコンを自在に操る友人に相談してみた。

 「パソコンを始めるのなら君の歳から言って、今が最後のチャンスかもしれないね。クリアすべきハードルは高いが、まぁ、アダルト系(猥褻系電脳利用)など楽しみながらおぼえていけば何とかなっちゃうんじゃないの」

 「アダルト系ってなに?」「いやその、そーゆー世界もパソコンにはありまして、この欲望を満たすためにパソコンに取り組めば、結構気合が入るのよ」「じゃなにか、パソコンも、かつてのビデオブームのように、電気屋のオヤジがアダルトソフトをおまけに付けてビデオデッキを売るようなそんな世界があるのか?」「えらい古い話だなぁー。まあそれに似たこともあるということだな。」

 私の迷いはこの友人の話で、一気に吹っ切れたのであった。カーナビは猥褻ではない。しかしパソコンは猥褻でもある。つまりパソコンは仕事と裏レジャーの2つを兼ね備えているのだ。

 私はパソコンを購入することに決めたのである。

 

電脳家電仕様書

 職場の「押し花奥の院」に煽られ、パソコンを買うことに決めた私は、早速機種選びに取り掛かった。そのためにまず自分にとって、パソコンはどうあるべきかを考えなければならない。

 私は、これからのパソコンは「家電となるべきだ」、と考えている。すなわち、パソコンは掃除機や洗濯機、テレビ、ビデオ、冷蔵庫などと同等の存在であるべきなのだ。したがってパソコンは家電と同じく、軽薄短小、丈夫で長持ち、しかも梱包を解いたとたん、マニュアルなど読まなくても、誰にでも簡単に取り扱える手軽さがなくてはならない。さらに性能は、販売されている時点で最高のものであることはいうまでもない。

そんなイメージをパソコンに持ちつつ、雑誌などを見てみると「なんじゃこれ」状態ではないか。まず、パソコン雑誌は、98%広告で埋められている。文章なるものは5〜6ページしかない。しかもその内容のほとんどが、「メーカー様よいしょの」記事であった。

 たとえば、「入門機」という表現。要するに、パソコン初心者は、性能もそこそこの安物でよいという考えである。それゆえこの手の雑誌はパソコンを価格、性能ごとに並べて、入門機、中級機、プロフェッショナル仕様などと分類している。こんな雑誌は糞の役にも立たない。そもそもこの雑誌の書き手は「電脳人民・大衆」を完全にバカにしている。だいたい家電たるべきパソコンに、入門も上級もありゃしない。掃除機に「入門仕様」なんてあるか?そもそも家電的発想からすれば売れる掃除機とはその時点で最も性能がよくて、使いやすく、安いものである。パソコンもそうあるべきだ。

こうして考えていくと、パソコンの機種も選択幅が限られてくる。まずは「軽薄短小」ということから、ノートパソコンになる。そもそも臥体のでかいデスクトップは、かつてのワープロと同じで消え去る運命であろう。次に性能は、購入時点で、最も高いものがよい。日進月歩のパソコン性能は、半年で、雑誌でいうところの、プロフェッショナル仕様が、入門機レベルになる。

しかし、高性能のものは、たかつく。しかし、買うタイミングをうまくつかめば安く手に入れることができよう。車でいうところのマイナーチェンジ直前の在庫処分ねらいというやつである。電気炊飯器だって、色を増やし、取っ手をちょっと変えただけの新製品の登場によって、前のモデルは、デスカウントショップに流れる。パソコンもそんな機種をねらおう。

次にパソコンを何にどう使うか?の問いかけがある。この点、他の家電ははっきりしている。冷蔵庫は食べ物を冷やし、貯蔵することにある。ビデオは録画し、レンタルを借り、時に怪しいものを見るためにある。そうするとパソコンはどうなるか?実は今のパソコンが完全に「家電」になりきれない理由がここにあった。

ようするに、なくてもまったく不便がないのだ。また、買ったことで、ビデオのごとく、たいへん役に立つだろうという実感をもてない。

パソコンは確かに、映像、音、情報、記録などのマルチメディアを処理する性能を一通り揃えている。しかし、映像はビデオに負けるし、音はオーデオコンポにかなわない。ゲームだってプレステの方が数段上である。

しかし、私はパソコンを買うことにした。それは、あの「押し花奥の院」によって職場での必要性を感じさせられたからだ。またインターネットに関しては情報のはや取りという意味で近頃やっと使えるようになったといえる。

パソコンは今後われわれ電脳オヤジの「家電」として、生活の必要性とコストパーフォーマンスが求められるであろう。

パソコンのあるべき姿はイメージできた。しかしどう使うかについては、まだにつまっていない。まあしかし、欲しくなっちゃたものはしょうがない。そのことは、買ってから考えればよいだろう。オヤジは流行に乗り遅れまいと焦るものだが、たいていずっこける。これも運命だ。

私は早速、カタログを集め、パソコンを実際に見るべく、大須へと突撃したのである。はたして、大須のパソコン店には様々なパソコンとソフト、周辺機器が所狭しと展示してあった。しかしその売り場には、なぜかきれいなネエちゃんがわんさか店員として群がっているではないか。私はこのネエちゃんたちにいささか苛立ちを感じた。「なんであんたらここにあつまっているの?!」「流行っていて、トレンディーで、華やかな所に何できれいなネエちゃんたちは寄ってくるわけ?」と。電脳オヤジは、このネエちゃんたちに大いに吠えることになるのだ。ついでに態度のでかいクソボケ店員にも。

電脳オヤジのご意見番(店員編)

 パソコンを購入すべく、私は大須へ突入した。私は現金主義なので、購入予定額の20万程を巾着に突っ込んでパソコンショップに入ったのだ。しかし店に入ったとたん私は非常に不機嫌になった。というのも、なにやらキャンペーンガールなる若いねぇーちゃんがそこここに立っているではないか。白いワンピースの超ミニはプリンターを、トラ柄の派手派手ボディコンはパソコンをといった具合に売り込みをしている。

 この不景気の世の中、確かにパソコン業界だけは景気がええですよ。ほんと、とってもおいしい業界だと思いますよ。しかしどうしてこういうおいしいところには、若いきれいなねぇーちゃんが群がるのか。パソコンがまだ普及していなかったころ、あんたらは、F1サーキットとかJリーグとかにおったでしょうが。それが今は大須アメ横ですか。まったく節操がない。

あんたらが来る前の大須は良かった。店員はマニアックでお宅っぽい「ジョー90」やサンダーバードの「ブレインズ」みたいなこだわり店員がいっぱいおった。彼らは自分の販売する製品の全てを知り尽くしており、平日昼時間帯などの暇なときは、持ち場の製品をいじくりまわし、いろいろな実験をやってさらに知識を深めておった。だからたとえば、ペンティアム3の450と700の処理スピードの体感的違いなどは、画像系の処理を比較して適切に伝え教えてくれたものだ。

 ところがこのキャンペーンのおねえちゃんたちは、そんなことはまったく知らない。ただ教えられた売り口上を繰り返すだけだ。しかし、こいつらにも何がしかのお金が出ているわけだから、それは製品に上乗せされているだろう。そんな金があるのならその分安くしろ、と言いたい。

 それから若い店員のねえちゃんにも参ったね。きっとこの超氷河時代の就職難を乗り切って採用されたんだろうな。本人はとっても張り切っていることは認めよう。しかし、パンフレットの機能仕様すらよう読めんのだ。客はこいつを穴があくほど見てから来店することも多い。いいのかねぇこんなことで。ちなみに「ノートパソコン用128Mバイト増設メモリーをくれ」と言ったところ、若いねえちゃん店員は、「ちょっと待ってください」といって、怒涛のごとく走り去り、古参の店員を連れてきた。ダッシュして連れてくるひたむきさには一目置くが、このくらい自分で対応しろよと言いたい。

 さて、ねえちゃん店員に対してこんな思いを抱きつつ、私はとあるパソコン店に入った。そうすると早速若いねえちゃん店員が寄ってきた。「来よったな、フン、まあ見ておれ」私はズボンのベルトをおもむろに引き上げ戦闘体制入ったのだ。「あのねぇ、ノートパソコンがほしいのだけど、性能はペンティアム3で500以上。マイナーチェンジ前の基本性能が高いがそのわりに値段の驚くほど安い、インターフェイスの一通りそろった、IEEE1394RUNは必須でPCカードスロットは2つ付いていて電源長持ち、ゲームもしっかりやれる、ビデオRAM8Mバイト以上で、ハードディスク20ギガバイト以上の、しかも前評判でなかなか壊れにくい超掘り出し物はどのメーカーのどの機種がいいかな?」と至極一般的な質問をそのねえちゃんにしたのだ。

 そのねえちゃんは、「ギガ、ラム・・・」とつぶやいたように聞こえたが、後は顔がフリーズしていたのを見逃さなかった。すかさず私は「ちょっと、あのね僕の質問に答えられる人連れてきてよ。よろしく。あっそれからこのディスプレーの値札ここに落ちちゃっているよ。付け直しておいたほうがいいんじゃない。」といってそのねえちゃんを追い払ったのである。

 しばし時間がたった後、かつての大須アメ横に生息していたマニアック系「ジョー90型」こだわりトッチャン坊ちゃんタイプの店員がやってきた。「いいねいいねこうじゃなくっちゃ」と私はその時思ったのだ。私は同じような質問をこの「ジョー90」に浴びせ掛けた。するとこの店員は本当にうれしそうに答えたのである。「お客様のご要望にぴったりの機種があります。これがそうなんですが、基本性能はこの上位機種と同じですが、ノートパソコンは液晶が歩留まりの悪い関係で、高つくので14インチのところ、13,5インチにしてコストを抑えてあります。限定的な意味合いの強い商品ですから、今買われても3ヵ月後に買われてもそんなに価格差は出ませんよ。むしろ売切れてしまうかもしれません。」とすらすらと答えてくれたのだ。私はこういう店員をそしてこういう情報を待っていたのである。ただしひとつだけ苦言を呈するならば、この店員は口臭がひどく鼻がひん曲がりそうであった。

私は「そうこれね、ありがと」と答えて買う意思はまだないことを伝えた。そうなのだ、この店は良い店員がいるのだが、いかんせん値引率が低い。店員は無愛想だが、値引率はピカ一のY電気が本命であるのだ。こうやって詳しく細かな説明は、値引率は低いがサービスの良い店で受けて、実際に購入する店は多少無愛想でも値引きの良いところで行う。これが私の「家電」の購入方法である。

ところで例のねえちゃん店員は、非常に丁寧に時間をかけてディスプレイの値札を貼り付けていた。

セットアップだ増設だ

 ついにノートパソコンを買った。金曜日の夜7時ごろ、狙っていた機種が一番安いところで購入した。この時間は客も少なく店員の対応も丁寧である。特に安売りをやっているような店は、対応がえいころかげんなので、この時間が良い。また金曜日は次の日が休みなので遅くまでパソコンで遊べる。

 私はとても幸せな気持ちでパソコンの箱を両手で抱え店を出た。すると出口には私と同じようなパソコン購入オヤジが、これまた満面に笑みをたたえ次から次へと出てくる。不景気とリストラの嵐が吹きまくるこのご時勢、オヤジは暗い表情で首をうなだれることも多いだろう。しかしここの出口のオヤジは明るい。「オヤジの笑顔、明るい日本」

 私は自宅に着くなり、早速セットアップをはじめた。今のパソコンは、解説ビデオまで付いており、実に簡単にセットアップができる。メモリも現品では64メガしかないので、128メガ分を増設した。これも実に簡単で、マニュアルを読めば、プラモデルよりも簡単にできる。よくショップオプションとして、セットアップやメモリ増設を、有料でやってもらうのもあるが、この程度のことは自分でやるべきだろう。

 セットアップが完了し、メモリ増設も難なく成功した。あとはマニュアルをじゅっくり読み込みいろいろ遊ぶのみだ。金曜日の夜は徹夜を決め込み、いろいろいじり倒した。

 ところがここに思わぬおじゃま虫が現れたのだ。ほかでもない、かあちゃんである。金曜日の徹夜と土曜日の午後までは、私の好きなようにやらせてくれた。しかし、夜の8時くらいから雲行きが怪しくなった。

 「ねえ、ねえ、あす花フェスタを見に行きましょ。」「はぁん、ふぅーん」「庭のつつじだけど花がつかないのよ」「はぁん、ふぅーん」「パンジーや桜草に植え替えようと思うの」「はぁん、ふぅーん」「花ちゃん(娘)そろそろピアノの練習して!」「はぁん、ふぅーん」「あなた!ちゃんと聞いてるの!?」「はぁん、ふぅーん」私は生返事を繰り返しつつパソコンに向かっていた。妻の「ねえ、ねえ攻撃」の第一波はとりあえず収まった。すると2時間ぐらいあとに第二波が襲ってきた。

 「あなた、お気に入りの「美人女将のいる全国温泉宿巡り」をやるわよ。お茶を入れたから一緒に見ましょ。」「はぁん、ふぅーん」「とにかく、一休みしてこっちに来なさい!!」

 私は仕方なくお茶を飲むことにした。一気のみをしてパソコンに戻ろうとしたが、お茶がチンチキチンに熱くしかもマグカップに入っている。「ねえ、秘境の温泉宿っていいわね。行きたいわ」「オレは、長風呂は苦手だ。君みたいに一時間も風呂におれるのは脅威である。」「雄大な自然に、美味しい食事。たまらないわ!」「オレは極度の花粉症だ。鼻が詰まって寝れん」「あっ、さてと」と言って、またパソコンに戻った。こうして「お茶、お茶、攻撃」もかわした。

 すると今度は「ガキねた」攻撃である。「花ちゃんの受験だけど、大学までストレートにいける付属の私立高校がいいか、それとも公立高校かしら?結局どちらがお金かかるかしら?」「はぁん、ふぅーん」「ちょっと!進学希望調査を書かなきゃいけないのよ真剣に考えて!!」「どっちにしても、まぁ

似たようなもんじゃございませんか」「えーと、システムリソースが食われないようにするには・・・」「なんちゅう父親なんだ」「へっへっへっ、トンデモオヤジでござんす」こうして何とか「ガキねた」攻撃もかわしてパソコンにすりすりしたのであったのだ。

 ところが敵もさるもの30分ぐらい後に、いきなり室内が停電した。「あらあらお父さん停電よ、ブレーカーのスイッチ入れて。」「おいおい、クーラーとテレビと電子レンジとアイロンと大型ドライヤーを同時に使ったらブレーカー飛ぶよ」「あらそう、パソコンも切れちゃって迷惑かけたわね」「ホォーホッホッ、ノートパソコンは内蔵バッテリーに切り替わるのでノートラブルでございますわよ」

 かくして、四波に渡る妻の妨害工作を難なくうっちゃり、タコの吸盤のごとくパソコンに吸い付いて三日連続いじり倒したのであった。

 イン(淫)ターネット

 パソコンといえばインターネット。私はノートパソコン購入後直ちに、電話一本でプロバイダーとの契約を終え、ウイザード(魔法使い)なるものに従い、パソコンをセットアップしてちょちょいのちょいと接続を完了した。そして早速パソコンを自在に操る友人にメールを送った。

すぐに友人から返事が返ってきた。「インターネットの世界にようこそ。ついに君もパソコンにはまり始めたね。こいつはやればやるほど奥のふかぁーい世界であるぞ。まあ初心者である君はまずはアダルト系(猥褻系電脳利用)など楽しみながらおぼえていけば上達は加速するであろう。まあせいぜいがんばりたまえ」とのこと。以下メールでのやり取りは続く。

 「アダルト系ってなに?」「いやその、そーゆー世界もパソコンにはありまして、この欲望を満たすためにパソコンに取り組めば、結構気合が入るのよ」「じゃなにか、パソコンも、かつてのビデオブームのように、電気屋のオヤジがアダルトソフトをおまけに付けてビデオデッキを売るようなそんな世界があるのか?」「えらい古い話だなぁー。まあそれに似たこともあるということだな。」

 そういえばパソコンを見て回った大須には、「パソコンソフト専門店」なるものがいくつもあった。そしてそこは、なにやらアダルト系ビデオレンタル屋と同様の怪しい雰囲気が漂っていた。そうなんだ!パソコンの爆発的普及の裏にも、やっぱりH系の存在が埋め込まれていたわけね。

私はパソコン師匠たるその友人にインターネットによるH系世界への入り口のかぎを問うた。友人のメールでいわく。「まあとりあえず、検索サイトで「性衝動」という文字をな、打ちこんでエンターキーを、ぽちっとな押してみなされ。・・・後は根性と根気と性衝動があれば、淫靡なる世界の扉を開くことができますぞ」

 私は師匠の教えに従いトライアルを繰り返した。そうしたら「あれまぁー むふふふ」の画像が飛び出してきたのである。私は深い感動を覚えた。そういえば学生時代に学んだ法学の最初の講義は「チャタレー婦人の恋人、悪徳の栄え」裁判の判例による「猥褻」とか「表現の自由」の法的判断が教材だった。この判例以降日本の猥褻系図版は独特の歩みを進めていった。しかし、法曹界では、いまだ西洋並みの自由は認められていない。いわば法の壁がたかぁーく立ちはだかっているのである。

ところが、パソコンで「イン(淫)ターネット」を探求することでいまだどの弁護士さんも挑戦しかつ成功しえなかった猥褻系世界を手に入れることができたのだ。さらに電脳猥褻網は世界中に生息する、スケベオヤジの猥褻の輪を繋ぐのだ。これこそまさに「I(淫)T革命」である。私は何かしら奥ふかぁーい感動を覚えつつ「フガフガ、スースー」鼻息も荒く、エロ本屋に群れ、SM・スカトロ系雑誌に見入る、エロデブオヤジモードでパソちゃんに張り付いたのであった。

 しかしながらこの感動の余韻も覚めやらぬせつな、ドアが「バタン」とあいて妻が乱入してきた。「あなたお茶よ・・・アッ、コラァ!何やっているの!!その画面はなにぃ!!!お仕事で仕方なくパソコンをやっているというから、お茶でもと思って持ってきたのに・・・」機関銃のごとく浴びせかける妻の罵声を背に受け私は、鮮明に映し出された猥褻画面を上半身で覆い隠すという愚行に及んだのだ。そして、「いやその、チャタレーがその、法曹界のIT革命がその、表現の自由・・・」とつぶやきつつまさに支離滅裂のパニック状態となりフリーズしちゃったのであった。妻は「何をわけのわからないことをぶつぶつ言ってるのよ!」と一喝した後、私の頭を「ぱかぁーん」と殴り、その後ドアを「どかぁーん」と閉めて出て行ってしまった。

 今思えば、妻が乱入したとき「母に見られてしまった中学生のエロ本覆い隠し的反射行動」ではなく、すばやくスリーブボタンを「ポチィ」と押すといった対策を講じておけば、難なくこの最悪状態をクリアーできたのだ。

 それ以降、パソコンに向かう夫の姿は、妻からすればコンピューターを自在に操る、IT革命戦士のそれではなく、「○○交差点から一本東に抜けた3軒目のイメクラ「ナースクラブ」の○○チャンのテクニックはまるですっぽんのような・・・」の雑誌を読み漁るフガフガ、スースーオヤジになっちゃったのである。さらにノートパソコンは、スーパーテクノロジーの集積された電脳ツールではなく、大人のおもちゃ屋にある猥褻バイブグッズ程度の存在へと転落してしまったのだ。

 それゆえ妻は、私がパソコンをやろうとすると「あらあら、また一人でお楽しみぃ。ふん!変態!!」といやみを飛ばすのである。

私は、妻のこの「いやみ攻撃」に対し心を入れ替え、猥褻系には一切かかわらないといったことは一切なく、むしろ不意に妻が乱入したときにスリーブボタンをすばやく押すタイミングをつかむべく訓練に精進したのであった。

ジェロニモ

 怪しいインターネットを覗いていて妻に見つかった私は、とりあえずほとぼりが冷めるまで、パソコンがらみの行動は控えていた。しかし、アフターファイブになると、大須の電脳カスバ(パソコンオタクの群がる路地裏)の放つ電脳フェロモンの誘惑には抗し難く、ついふらふらとこのカスバに引き寄せられてしまうのであった。

 ところでパソコンというのは、本体以外にもさまざまな、関連商品があるものだ。私はパソコンで使えそうなおもしろい商品をいろいろと見て回った。するとその中でひとつの商品に目がいった。それは「自分で作ろうアイロン転写紙」なるものである。この商品は、パソコンとプリンタがあれば、自分でTシャツに好きな絵柄のプリントができるというものだ。この類のプリントというと、大学のクラブ活動などで、おそろいのプリント入りTシャツなどを作ったりするが、いかんせんオリジナルなだけに、その道のプロに頼むとかなり割高になってしまう。それに、なかなか自分の気に入ったデザインになることも少ない。

 しかし、この「手作りアイロン転写紙」はパソコンに画像さえ取り込めば、それがTシャツの絵柄になるという。しかも、一枚だけのオリジナルTシャツができるのだ。私はこの商品に飛びついた。

 イン(淫)ターネットではずっこけたが、こいつがうまくいけば、起死回生、パソコンを操る電脳オヤジの権威を取り戻せるのだ!妻や子供にオリジナルのプリント入りTシャツを作ってやることができる。「よっしゃー!やったるでー」私は鼻息も荒く、この「電脳オヤジTシャツミッション」に取り掛かったのである。幸いプリンタは、いずれ必要とのことで、費用が残してあった。まずはプリンタ購入ミッションからスタートである。どんなプリンタがよいか?情報収集のためインターネットで覗いたところ、あるもんですねえー、その名も「プリンタマニア」。そのものずばりですな。その他「全商品裁判所」なるサイトもあって、けっこう本音で商品の評価がしてある。結局私は、相性の関係で、購入したノートパソコンと同じメーカーのプリンタを手に入れた。そしてもちろん、アイロン転写紙も手に入れたのだ。

 次に図柄になる素材を集めることにした。まず最初に浮かんだのはアメリカインデアンのものだ。よくアメラグなどのヘルメットに描かれているが、私はこの図柄が大変気に入っている。もう20年以上前になるが、私はアメリカインデアンにはまったことがあった。さまざまなインデアン関係の本を読み漁り、スー族の「クレージー・ホース、シッテイング・ブル」とか、シャイアンの「ローマン・ノーズ」そして、アパッチの「ジェロニモ」たちは私にとってアメリカの広大な草原を走り回る英雄となっていた。

かくして私はふさわしい図柄を探すべくインデアン関係のサイトを巡回していたところ、とりわけ尊敬している「ジェロニモ」の白黒写真をゲットすることができたのだ。早速これを取り込みプリントアウトすることにした。もちろん、妻や子供の喜びそうな、水彩画風ハイビスカスの花(妻)、やミッキーマウス(子供)などの図柄も取り込んだことは言うまでもない。

「おい、みんな来てみろ、今からアパッチ族の戦闘隊長ジェロニモのTシャツを作るぞ!」「かっこういいぞぉー」と私は得意満面となって、ジェロニモの勇姿をプリントアウトした。アイロン転写紙には確かにきれいに印刷できた。そして「ハイビスカス」も「ミッキーマウス」もうまく次々にプリントアウトできた。「この図柄が、アイロンによってTシャツに貼り付けられるわけだな」と説明をするとさすがに妻子とも、感心した様子である。電脳オヤジ面目躍進といったところか。そして説明書どおりアイロンで圧着して「ぱりぱり」と台紙をはがしたのであったが、これがうまいこと圧着せず、ジェロニモの顔や身体の部分部分が台紙にくっついてはがれてしまったのである。完成品を見ると妻いわく「あらあら、ジェロニモさんの顔の皮がはがれて、ゾンビづらになっちゃったわね。これじゃジェロニモゾンビね」次にハイビスカスをやると「ブタクサをドライフラワーにした感じね」ついでにミッキーマウスは「車に惹かれてぺっちゃんこになったドブネズミ」なんだと。

はっきりいって完全に失敗であった。今思えば、アイロン転写紙の説明書の図柄は、極々、単純なイラストが使われていた。「こんなの背中に貼り付けたくねーや」と言いたくなるようなしろものであった。結局「電脳オヤジTシャツミッション」は「アンコンプリート」となってしまったのである。

セコテクノシンジケート

 本屋の電脳関係棚を覗くと、CD−R関係のものがかなりの数並んでいる。CD−RはCDを複製する電脳関連グッズだ。こいつを使うと、音楽CDが見事にコピーできる。つまり、レンタル屋にいって音楽CDを借りてそれをコピーすれば、かなり割安で、音の劣化の少ないクーロンができるというわけだ。 早速私は、予算を3万円以内と決め、CD−Rを買うことにした。この機器も日進月歩で、コピーする速さが4〜16倍と速くなってきている。結局、OEMブランドの(中身は有名メーカーのもの)16倍でコピーできる機種を買った。

 これでもって、1年前に購入したカーCDチェンジャーを鳴らすべく、せっせと音楽CDをコピーしようというわけだ。

購入したCD−Rを早速パソコンに繋いで井上陽水の「花の首飾り」の入ったCDをコピーところ、大成功で、10年前に買ったLD(CD再生もできる)プレーヤーでもしっかり鳴った。娘が持っているミニコンポでも「はなさくぅ〜 むぅ〜すーめぇ〜たちぃがぁ〜」と音を出してくれるではないか。そして、娘は、「モームス」や「はまざき」のコピーを懇願したのである。妻も、「くわた」をちゃっかりリクエストしてきた。電脳オヤジの権威はここに復活した。

 私は休日のドライブが趣味であるため、CDチェンジャーで10連装ノンストップ音楽を実現すべくせっせとコピーに励んだのだ。そして待ちに待った、日曜日がやってきた、いつものごとく早起きして車を念入りに洗い、コピーCD−Rをチェンジャーに装着し、ドライブに出たのだ。そして、チェンジャーのスイッチを入れたところ・・・なんと「CDが入っていません」とのメッセージが出るではないか。「なんじゃこりゃ!」私は車を止め、チェンジャーをチェックした。異常なしだ。しかし何度やり直しても同じメッセージである。「ひょっとしては」と思い、今まで使っていた、メーカー製音楽CDを入れたところちゃんと鳴るのだ。

 「コピーしたCDが鳴らない!!」私は、CDチェンジャーの説明書を読み直した。すると、説明書の隅っこの方に「このチェンジャーはCD−Rには対応してません」と書いてあるではないか。「ガビィ〜ン」である。要するに、CDかCD−Rかを認識して工場生産された音楽CDのみが再生できるように細工がしてあったのだ。私には言い知れぬ怒りがふつふつと湧いてきた。「これは、音楽ソフトメーカーと音楽CD機器メーカーの陰謀だ!」「なんてせこいやつらなんだ」どーせどっかの料亭で談合したのだろう。

「よぉー、ぱなちゃん、久しぶり。まあまあ一杯どうぞ。ドンペリだよ、ぐいーといって。ところで実はお願いがあるんだが聞いてはくれないだろうか?」「なんだい、そーちゃん。お願いって」「いやね今パソコンでCD−Rというやつがあるだろ。あれには参ったよ。何せわがままアホタレントを大金投じてアイドルにして発売したCDがレンタル解禁と同時に、コピーされちゃうんだからね。売上伸び悩んじゃうわけよ」「それで、そーちゃんどうして欲しいの?」「だから、ぱなちゃんのほうで、CD−Rじゃ再生できんように機械に細工してくれないかなぁー」「うーん、そりゃちょっとねぇー。すると、本体が売れなくなるなぁー」「どーしても、そーちゃんのほうでできないというなら、まぁCDに強力なコピーガードを仕込んじゃうという手もあるんだけど、するとほらウチのパソコン部門のやつらがいやな顔するんだなぁ」「まあ全部の機器にする必要はないんだ。これから発売する新製品にはグレードを作って高いものにはCD−R再生できるようにすればいいんだよ。そうしてくれれば、まあ当分の間はCDにコピーガードなんかはつけないからこの条件でどうだい?」「そうだな、CD−R再生を特殊機能とすることでグレードアップ価格が設定できるから儲かるな。よしわかった、そーちゃん。それで手を打とう」「ありがと、ぱなちゃん。」「パン!パン!」「さぁーおねーさん方入ってちょうだい。今日はぱなちゃんにしっかりサービスしてね」てな調子で、策略を計ったのではないか。しかし、せこい!普通、テクノロジーというのはできる機能が増えてしかもそれが安くなっていくのが本流だろう。だいたい10年前に買ったCDプレーヤーでCD−Rが再生できるのに、1年前に買った最新のCDプレーヤーでは再生できないとは、なんちゅーこっちゃ!こういうのを、せこいテクノロジー「セコテクノ」と言う。そしてこういうことをメーカー間で談合するやり口を「セコテクノシンジケート」というわけだな。私は、くるまやさんにも行ってみたが、なんと、一番高そうな、車用CDチェンジャーには金文字で「CD−R」対応機種と謳っているではないか。そんなのは10年前のCDプレーヤーや安物のCDラジカセでもとっくに対応しているぞ!ドライブのためにせっせと焼いた10枚の音楽CD−Rはどーなるんだ!!

手込め庄屋娘

 午後の2時から4時ぐらいまでの間、テレビは芸能番組かアンコールドラマを流している。私は時代劇が好きで、この時間帯はおもに、「ちょんまげ」を見ている。この時代劇を見ていて私は最近購入した、スキャナーの電脳ライフにおける役割を考えてみた。

スキャナーは、画像の取り込みや、識字、カラーコピー等の仕事をしてくれる。しかし買う前のカタログ情報から、電脳活用の期待をかなり持つわけだが、実際に購入するとその出番のなさにかなり失望させられるのだ。

 どうしてこうなるのか? 例えば、画像の取り込みだが、何か趣味として写真とかパンフ収集などの利用目的がないと、出番がない。またパソコン上に画像を取り込むにしても、その加工にはさらに画像処理ソフトが使いこなせなければならず、けっこう面倒くさい。しかも、プリントアウトしてみると、きれいには出ない。付属のOCRソフトによる「識字」に関しても、「手書きのメモ」が高いヒット率で変換されるわけでもなく、結局、「活字」の識字にほぼ限定される。私は、一時期スキャナーで英語の書物を取り込み、翻訳ソフトで読もうとしたが、翻訳がまともに機能せず、使い物にならなかった。しかし、カーソルを当てるだけで瞬時に辞書機能が働くのは便利でもっぱらこの機能のみを使っている。

かようにスキャナーは場所をとる割には稼働率が極端に低いのだ。ところが二万円ぐらいで買えてしまうのでつい買ってしまう。こんなスキャナーの役割を私は時代劇中の「庄屋の娘役」にオーバーラップさせた。

チャンマゲドラマはそのストーリー構成が決まっており、次にどうなるかがわかった上で見るので、物語の展開を追うというよりも、それぞれの役どころで演技にどういう味を出すかを楽しむことになる。例えば水戸黄門なら、「この御紋が、見えぬか頭がたかぁ〜い」のくだりの雰囲気や振り付けの構図を楽しむわけだ。また次の旅へと流れるときに、恩を受けた人々が、黄門様一行と別れるときのやり取りやナレーションで流れる、芥川の浪花節を聞いて「そうだ!」といちいちうなずくわけである。

その他にも「遠山の金さん」なら「桜吹雪のもんも」を見せるところ。将軍シリーズなら「剣さばき」、と見所は決まっている。ところでこのような物語の「決め」をより劇的にするために脇役がそれぞれに奮闘するわけだが、その中でも、「庄屋の娘」の役は必要かくべからざるものである。つまり善良な、庄屋の娘が悪代官の毒牙にかかり危うく手込めにされるくだりだ。

手込め庄屋娘の役者のキャラというのは、だいたいが、とてもいたいけで清潔感がありかわいい。それに性格もよくて、やさしく思いやりがあるかに見える。そんな罪のない娘が、親の借金のかたとか、悪事を目撃するなどの状況に陥り、悪代官に付け狙われるわけだ。娘がピュアであればあるほど、物語は最後の定番の「決め」に向け盛り上がっていく。しかししょせん脇役である。主人公を食ってしまうほど存在感があってもならないし、レギュラーの脇役女優よりも知的で品があり美人であってもならない。そこそこの魅力が、それもどちらかというと、その役柄上マゾ的なムードが漂っていなければならない。そして、視聴者からすると「あぁー、オレも悪代官になってみたい」と刹那思わせるようなエロスを持ち合わせることも必要だ。かといってそれが濃厚ないやらしさを漂わせて、尾を引くようであってはならない。まあ演技のどれもこれも小出しにしつつそれなりにバランスを持って控えめに主人公を盛り上げる存在でなければならないのだ。

こう考えると、今我が家でおおばを取りつつも埃にまみれているスキャナーはまさにちょんまげドラマに定番の「手込め庄屋娘」と同様の役どころを担っているといえよう。本体のパソコンを越えることはなく、目立たない存在でありながら、ほんのたまに使用される。パソコンの機能に幅をもたせる役割を持つが、絶対に必要というわけではない。それでいて、機能はどんどんアップし、スタイルも角が取れ滑らかでスリムになっている。他の周辺器具に比べても、ごつくなくどちらかというと女性的な雰囲気をかもし出しているように思うのだが。

ところでスキャナーを買ったことを友人に話したところ「へっへぇー、おまえ裏関係の写真でも投稿するのかい?」と言われてしまった。どうやらスキャナーの稼働率が高くなるのはまたまた裏関係で利用される時らしい。と言うことは単にそのスタイルが女性的なだけではなく、その機能そのものもスケベグッズとして活躍しているといえる。


ニンジャ

 休日はパソコンに向かうことが多く、しかもそのほとんどが、インターネット覗きに終始している。裏系の怪しいサイトや案近短のレジャー情報も満載であるし、テレビでやっている「地区限定食べ放題うまいもの情報」などもすぐに局のホームページで公開されていていちいちメモや録画をする必要もない。いやーまったく便利な時代になったものだ。盆休みなどは、「7000円未満で泊まれる宿」を検索してネット上で予約をした。はたして、なかなかよい宿であった。

 ところで、妻子が寝静まった頃、不意の侵入を避けるため、ドアに筋交いを当て(鍵をつけようとしたところ、妻より「何一人でこそこそやるの?変態!」と一喝された)スーハーオヤジのナイトショーが始まった。まあこれも恒例となっているけどね。色々な画像や動画が法規制をものともせず、私の書斎のモニターに現れるのだ。巷でこのたぐいの情報を「お宝」というわけだが、「お宝」である以上そいつを手に入れないことには、お話にならない。しかしこいつがなかなか骨の折れる作業なのだ。とある「お宝」にたどり着くと、サムネイル(小さな画像がぺたぺた張ってあるもの)や数字が並んでいる。これをクリックすると上からジョリジョリとムフフの画像が出てくるわけだが、こいつが1枚や2枚ではなく、50枚とか100枚とか張り付いていることがある。

 こいつを一つ一つクリックしてダウンロードするのはとても根気がいる。しかし、まああちらのエネルギーというのは年齢に関係なく常に旺盛であるからして、それこそ明け方近くまで覗き倒してしまうのだ。しかし、時代の最先端をいく電脳のこと、何か楽をして、ダウンロードできる方法はないものかと検索をしていたところ、ありました!その名も「インターネットニンジャ」と言うソフト。このソフトは夜中に目を血眼にしているフガフガオヤジの最強ツールなのだ。

操作はいったって簡単、取り込みたいページを画面に出して、たとえば「jpegのみ取り込み」ボタンをクリックするとあら不思議。電脳が勝手にお宝画面をすべてダウンロードしてくれるのだ。そのほかちょっと操作を工夫すれば、だいたいの画像は自動的にゲットできる。このソフトのおかげで、一日10枚20枚がやっとだったのが、100枚200枚と落とすことができるのだ。おかげで睡眠時間もしっかり確保できるようになった。

あまりの便利さに私は、このソフトのすごさを妻に自慢したくなってしまった。この気持ちというのは、例えば、007の悪役「スペクター」の行動にも相通ずるものがあるだろう。捕らわれの身となったボンド。スペクターいわく「君のプレーボーイとしての役目も終わりだな。まああの世でもせいぜい、女性と楽しみたまえ。ところで冥土の土産に私の発明した、スーパーレーザー兵器の威力を見せてやろう。むっはっはっはぁ!」てな調子で、実演をするわけだが、私もあの気持ちになって妻にニンジャを実演したわけだ。もちろん画像は、「タイタニック、デカフリオさま」の壁紙集である。妻、かなり感心の様子。「どうだ!すごいだろう」得意満面となった私であった。しかし一通り感心した妻ではあったが、意地悪な目をこちらに向け、「あなた、このニンジャで、変な画像を取り込んでいないでしょうね?」と突っ込みを入れてきた。「いやいやとんでもないそんなことしていませんよ」と否定するも「どうだか・・・」と疑念の視線を投げかけてくる。そういえばボンドのときも、スーパーレーザー光線の実演のあと、ボンドはなぜか、うまく逃げ出し、見せてもらった操作方法を使って逆に敵のアジトを破壊してしまうという落ちがついていたな。

ニンジャのおかげで就寝時間が早くなった私は、布団で妻と電脳の話をすることになった。「近頃、出会い系ネットがらみで男女間の犯罪が増えてきたわねぇ。あなたあのニンジャでこそこそ他の女とやっていないでしょうね?」「そんな事やるわけないだろ考えすぎだよ」「まあしかし、万が一にもうまくいったら、そしてその、浮気などということになったら、君どーする?」などと調子こいていったのが運の尽きであった。「そーねぇ、あんたけっこうでかい図体だけど、深く寝込んでいるときに薄手の布団をかけて、その上に馬乗りになれば、女の力でも身動きとれなくすることができるのよ」「その上で、あんたの頚動脈、調理はさみでちょん切ってやるわ。」「ちょ、調理はさみ・・・」その日は熱帯夜の蒸し暑い夜であったにもかかわらず、私の首筋に何か冷たいものが「スゥー」と走った。私は蚊のなくような声で「ニンジャやりません・・」とささやいたのだ。この夏一番の怖い体験であった。

史上最強ゲームツール

 パソコンが普及し始めた頃、それこそ車1台分を払ってこれを購入したはいいが、結局ゲームぐらいしかやれなかった。といったことがよく言われていた。しかし今や生活の隅々まで、電脳網が張り巡らされている現状からすると、パソコンゲームが果たした役割というのも無視はできないだろう。ところがパソコンゲームは、一部のマニヤやオタク以外では、さほど普及していない。

 ゲームはソフトの質と量がネックとなるが、その点においてパソコンゲームは、エロゲー(アダルト系ゲーム)を除いては細々と売られているにすぎない。私も、マイクロソフト社のフライトシュミレーターほか2〜3本やってみたが、それっきりになっている。これは、その他のゲーム機である「プレイステーション1,2」とか「セガ」や「ニンテンドー」のゲーム機のほうが質量ともに勝っていて、そもそも値段が安いのだ。それゆえゲームのユーザーはこちらの方で遊んだからだろう。

 ところでゲームといえばわれわれオヤジ世代からすると何といっても「スペースインベーダー」である。学生のたむろする喫茶店には、テーブルがゲーム画面になっていたし、若者スキー旅行などでは、行く道すがらのサービスエリアにも、それからゲレンデの旅館にもインベーダーがいた。ナイトスキーをした後のひと時、若かったわれわれはインベーダーのテーブルを囲んで、百円玉をたくさん消費したものだ。そう、オヤジにとってゲームはインベーダーであり、それはスキーゲレンデの旅館卓球ならぬ旅館ゲームだったのだ。しかし、このようなアーケードゲームも、プレステやセガサターンの登場で、家庭の中に持ち込まれていった。そして、家庭用ゲームは大ブレイクした。大学生がやる喫茶店ゲームが、ついには幼児や小学生などがやる遊びへと普及していったわけだ。それと同時に、インベーダーをやっていた若者はオヤジとなり、ゲームから離れていった。そして今やゲームそのものが子どもの遊びから見放されつつある。それゆえ今時、新しいゲーム機を出すマイクロソフト社は商品戦略を完全に見誤っているように思うがどうだろうか?

しかしゲームにも少しばかりの希望がある。その前例はプラモデルだ。今やこれはオヤジのリッチな趣味になった。ゲームもガキどもから見放された今こそ、インベーダー世代のオヤジが救うことになるのだ。

 などと思いをめぐらせながら、「電脳カスバ大須」を歩いていたら、狭い階段を登っていった2階に怪しげな電脳ショップを見つけた。ここはパソコンを売っているようなそうでないような、変わったところで、むしろ店内には、あらゆる種類のゲームソフトが新旧まじえて置いてある。しかも、それ以外になにやらゲームのソフトをいじるパソコンツールが山積みされているではないか。そのパッケージを見ると、「これで、超高難度のプレステ2ソフトも完全攻略」「エンディングまでたどり着けなかったあなたも楽々クリアーできます!」とあるではないか。

 私は迷わずこの電脳ツールとソフトを購入した。仕組みはいたって簡単。ゲームに保存されるメモリーからデータを吸い取って、パソコン上で改ざんしてしまうというもの。例えば、「無敵」や「アイテム全てゲット」という具合に、改造するのである。そしてそのデータを再度ゲームのメモリーにコピーすると、楽々ゲームを全部クリアーできるというわけだ。その改ざんの仕方は、毎月発行されるゲーム改造本に詳しく載っている。

 398で買った、プレステ2。反射神経も鈍るオヤジになった私には、ただの箱となっていたが、この改造ツールのおかげでエンディングまでたどり着けなかった手持ちのソフトを全て攻略してしまった。こうなると新しいソフトにもつい手が出てしまう。プレステ2版「ファイナルファンタジーX」なるソフトも、電脳改造のおかげで、一週間ほどでクリアーしてしまった。これにはさすがに子どもも驚いたようで、久しぶりに、「すっごぉーい」という眼差しを向けてきた。

 私はパソコンにもまだまだ知られていないいろいろな利用方法があることを発見したのだ。しかしこの史上最強のゲームツールは、見方によってはソフトをいじるという「ハッカー」の技術でもある。そうなるとゲームソフトの著作権の問題はどうなるのだろうか?そういえば、「エミュレート」なる技術も話題を集めている。これは、プレステやドリームキャストを、パソコン上で楽しめるというものだ。ウーム、怪しい。このツールを売っている店も怪しいムードが漂っていたが、何か怪しい。そしてこのような怪しいところには、女、子どもは寄り付かない。つまりはオヤジの世界なのだこれは。そして私はこの世界に引き寄せられてしまうのであった。

 マックな人々

 電脳の世界ではいま、ウインドウズとマックの2大OSがある。勢力状況を見ると圧倒的にウインドウズが勝っている。しかし、元をただすならばマックこそが、マウスという道具を使って視覚的にパソコンを操作するシステムを築き上げたのだ。コンピューターが家電化したのはマックのおかげなのだ。

 シェアではウインドウズに負けていてもマックはしぶとくいまも生き残っている。それは、このOSをグラフィック系のプロや、ミュージシャン、デザイナー、出版系の人々が使い続けているからだ。そもそもコンピューター技師以外のいわばアートな人が、それを操ることを可能にしたのがマックなのだから、これらアート系の人々がマックを支持するのは当然だろう。

 アップルなどの電脳ハードメーカーサイドもそのあたりを心得ていてかなり思い切った商品戦略を立て、奮闘しているようだ。例えばスケスケiブックなどといった思い切った斬新なデザインの採用や少数派ゆえの短期のバージョンアップの連発。マックに取り付かれた人々はますます、マック以外ではやっていけなくなる。しかし現実には、ソフトの量からして、すでに万人向きにはなっていない。要するにソフトが少なくて高いのだ。それに、ハード自体の当たり外れや安定性も危ういところがあるようだ。少数派で斬新であるがゆえリスクも大きいといったところか。

 しかしその反面、この希少性の存在ゆえアート系プロ以外でもマックを選ぶ人々がいる。例えば、洒落たペンションの女将さん。都会の喧騒から逃れて自然の中で、のびのびやりたいように生きていく。そんなセンスの持ち主である彼女はマックを使うのだ。あるいは、アンチ大衆迎合的なひと、この人たちは例えば、自爆テロを見たとき「テロをやるやつらはとんでもねぇやつらだ」とは考えず「毎日、パレスチナではアラブ系の人々が殺されているのだ。一般犠牲者には同情するが、そう単純なことではない」等といっている人にマック使いがいる。また、新しい職業、例えばカウンセラーとか、○○鑑定士やボランティア活動に没頭できるような、ハイソな市民活動家などにもマック派がいる。もちろん、電脳利用のスタートがマックだったので、さらにウインドウズなど再勉強する気にならないという人もいるだろう。しかしおおむねマック使いは何かしら人生の生き方に対してこだわりのある、すなわち「マックな人々」が多いのではないだろうか。

 ところで私の知人で筋金入りのマック使いがいる。この人は、確かにアートデザイナー系の仕事をしているにもかかわらず、先に述べた「マックな人々」とは、少々違っていた。彼は、日本がまだ、NECの98系を使っていたときにすでにマックを愛用していたのだ。その当時、電脳のことをまったく知らなかった私に、彼はマックのすごさを披露してくれた。「いいか、このCDROMをマックに入れるとこんな画面が出て来るんだぞー」やおら画面に現れたのは、裸の女であった。そして彼はその裸体の特に感じる部位に、マウスでもって、クリックしたのだ。そうすると「いやん」などという猫なで声を発生した後、その部位の拡大場面が「ぱぁっ」と開いて、サイズとか拡大写真とか、感じる度などの情報が開示されるのだ。そこで友人は誇らしげに解説を加えた。「あのなぁー、マウス操作ひとつでこんなことができるのはマックだけだぞぉー。NEC98系でやろうとすると、めちゃくちゃ面倒くさいコマンドをキーボードで打たなくちゃならん。そうなるとこの画面の彼女もきっと「もたもたしないでぇー」てな調子でしらけるだろう。ウィンドウズに至っちゃ、すぐにフリーズだぜ。まあインポみたいなもんだな。要するに動作が安定してなくて、役立たずということになる。ちなみに本屋へ行ってみな。アダルト画像系雑誌の付録CDROMは、ほとんどがマック対応だぜ。画像と音声と文字情報が統一されて、マウスのクリックだけで簡単に安定して操作できるのはマックだけさ」というのである。電脳のことをまったく知らなかった私は「すごいなぁー」と思うと同時にアダルト系は、ビデオや雑誌があるから、何も数十万円もかけてマックを買う必要はないなと思ったのである。

かくしてマック使いの彼の実演によって私の電脳購入は10年遅れた。しかし、私が電脳を購入したときには、すでに98は消え去り、マックは少数派になっていて、インポのウインドウズはそれこそアダルト系を含む全てのジャンルで、多数派になっていた。

当分マックな人は、生き続けるだろう。かの「おフランス」でもセーヌ川を堺として、シャンソン派とドビュッシー派が住み分けているように。

 プロキシ

 家族が寝静まった頃、ごそごそとゴキブリのようにパソコンに張り付き、カメレオンのごとく、後ろにも瞳をめぐらせ、家人の不意(故意?)の乱入に警戒しつつ、お宝画面を覗き見る。いつしかこれが、ルーティーン化(それをしないとなぜか落ち着かない日常的行動)してしまった。

 ところが、近頃この手の画面にたどり着く前に、なにやらわけのわからん広告画面が開いたり、例の「サーバーが見つかりません」の文字が出たり、ついには、「ぱっぱっぱっ」といくつもの広告画面が止めどもなく開きまくって、あげくの果てにフリーズしたりと、うまくいかないことが多い。もちろん、国際電話やダイヤルQ2に引っかかるようなドジは踏まないのだが、このいわゆるバナー飛ばしには、まったくめげてしまう。何か解決策はないかと色々電脳情報網を巡っていると、「プロキシ」なるものにたどり着いた。

 この文言、そういえばお宝系リングサイトの「注」のところで、「プロキシを通さないと画像が開きません」と書かれていたように思う。初めの頃はあまり気にしなかったけれども、お宝収集依存症にはまってからは、「・・・しないと開きません」とくるならば「開けてやろうホトトギス」のゴキブリ的夜行性捕食本能に掻き立てられて一晩中トライアルを繰り返す、覗き見根性丸出しの無限S−R反応オヤジ(実験マウスがレバーを引いた時のみ餌が出てくるあの学習反応)になってしまうのだ。きっと会社の仕事でこれほど熱心かつ執念深く、電脳に立ち向かうならば、その辺の若い者には負けない電脳使いになれたであろう。

 ところで、「プロキシ」とはもともと「代理」の意味である。電脳情報によれば、日々、お宝系サイトにアクセスしていると、相手方にこちらの情報が筒抜けになるらしい。例えば「永田一太郎は、今日もまたわがお宝ホームページにアクセスして、52枚のウフフの画像をダウンロードした」ということが、相手に筒抜けとなるのだ。こいつはやっぱりヤバイので、そこで「代理」を途中に介在させて、自分の存在を「匿名化」しようとするものが「プロキシサーバー」なのだ。

このプロキシサーバーを通過させるべく自分のパソコンを設定すると、あら不思議!?なんといままでバナーに飛ばされていたサイトがちゃんと開いてお宝画像がざくざくと出てくるではないか! そのときの感激といったら、まるで・・そう・・思春期の頃、どこぞで手に入れた「墨べたエロ写真」の墨がシンナーで消されてその下のもろ写真が見えたあの時の淫靡な感動を彷彿とさせるものであった。

なぜバナーに飛ばされないのか?真相は以下のようらしい。すなわち、3〜4年前までは、お宝サイトも日本国内のホームページで堂々と公開されていた。ところが当局がこの行為を「猥褻図版陳列」行為として、摘発するようになった。そこでお宝提供者は、電脳網の国境なきシステムを利用して、アメリカなど日本国外のサイトで「猥褻図版」を公開し始めたわけだ。こうなると当局も取り締まりがほぼ不可能になり、われら電脳オヤジは国外サイトで自由にお宝を手にすることができる。

ところが、日本の電脳スケベ人民多数が大挙して、この海外お宝サイトに群がった(アクセスした)ため、サーバーがダウンしてしまうことが頻発した。そこでこの事態を避けるため、お宝サイトは日本からアクセスしてきたものはシャッタウトする対策に出たわけだ。これがバナー飛ばしというテクニックである。先に述べたように、お宝サイトはアクセスしてきた相手の情報、例えば「日本からアクセスしてきたやつ」という情報を手に入れ、これら電脳スケベ群をアクセスさせないという仕掛けを作るわけだ。

そこで、プロキシの登場である。プロキシを通すと、相手に自分の身元はばれない。あたかもアメリカの電脳ユーザーのごとくなりすましアクセスできるわけだ。そうするとバナーへ飛ばされることはなくなり目的のお宝にたどり着くというわけだ。この夢のプロキシは、インターネットエクスプローラーのツール→インターネットオプション→接続のところで設定できる。プロキシサーバーのアドレスは、電脳網で何十種類も公開されている。設定にはコツがいるが、難しくはない。まさに、コックローチにも音をあげないゴキブリ的しぶとさでメイクアンドトライを繰り返せば成功する。なおプロキシは、匿名他者による勝手な電脳侵入を阻止することもできる。もともとは強力なセキュリティーシステムなのだ。お宝以外の情報収集もプロキシを通すとより安全である。この点は、お宝を追い求めた結果、偶然にも手に入った、まっとうな「電脳隠れ技」ともいえよう。

 こ、これは!

 ボーナスでデジカメを買った。500万画素が10万円台で販売されるようになってから俄然、銀塩カメラのクオリティーに限りなく近づいたそうだ。ひとつの夢、すなわちカラー現像が自宅でできる。しかも、A4サイズへも1枚20〜30円のコストで引き伸ばしできるのだ。これは大いなる魅力である。不況で目減りしたボーナス小遣いではあるが、出張旅費や特別手当の残金などをチメチメ集めて足せば何とか手に入る。

私のカメラ購入は、「アサヒドーカメラ」と決めていたので早速資金を握り締め突入した。この店は、ロフトの近くに店舗拡大したが、商い体制はなんら変わることはなった。いつものおばちゃんが、レジに鎮座し、一見目つきが鋭く人相の悪い無愛想な店員が手ぐすね引いて待っている。こんな雰囲気は電脳オヤジにとって、大須電脳カスバにならぶ魅力スポットだ。しかし、接客方針を少し変更したようでなぜか妙に愛想がよくなった。「お聞きしますよー」等とよってきて色々な質問に詳しく的確に答えてくれる。本質は無愛想なのだろうが(あのまずい面では愛想よく振舞っても顔面神経に疲労感がにじみ出てくる)、大須の某ウィル店のように、聞こうにもちっともそばによってこなくて、こちらから、店員を捕まえて説明を求めても満足な答えが返ってこない。そんな、接客態度に対抗したのだろう。しかし、カタログのスペック表を穴のあくまで見比べてきた、私からすると、アサヒドーの接客態度は、購買エネルギーが駆り立てられて快い。私が狙っていた機種はあらかじめ、実売価格などを雑誌等で確認していたので、それよりやや低く価格設定がしてあるこの店はやはりお得だ。その上、7%還元のポイントカードも使えるので、実質はさらにプライスダウンということになる。デジカメ関連のヨイショ記事では見えてこない、競合機種との差を(あらかじめ2機種に絞っておいた)じゅっくり説明を受けた上で、店員の勧める方を購入した。

私は、カメラの箱を握り締め家路に着き、夕食も程々に、マニュアル熟読とカメラセッテイングを行った。夜もふけた11時頃、早速ためし撮りを敢行した。被写体はまず、あのクソ生意気な娘だ。チャンスはいきなりやってきた。鼻クソをほじくって、XLサイズの物が小指に絡みついたのを感慨深げに凝視しているショットをゲットしたのだ。

次に亭主よりも必ず先に寝付く、妻の寝顔を撮った。ぽかんと口を半開きにして、「ふんがぁー、ふんがぁー」と寝息をかいておる。あらゆる角度から撮影して、自室に戻り、早速パソコンで、再生した。さすが500万画素だ、鼻クソの黄色い照り輝きぶりといい、そこから伸びるゲル状の粘液汁といい、その表現の質感は、日常の秘めたる行動の深みと情報量の緻密さを余すところなく示してくれた。妻の寝顔はどうか。撮影角度のまずさとフラッシュをたいたための露出オーバー気味の仕上がりとなっていて間抜け度の表現がいまいちである。私は早速撮り直しを敢行した。こんなことがすぐできるのもデジカメの良いところだ。銀塩カメラなら現像をしなければならず、こうした直後の撮り直しはできない。幸い妻はいまだ、口半開き表情を保っている。しかも今度は、半開きの口からよだれが一筋流れ出ているではないか。このシャッターチャンスを逃すわけにはいかない。私は、ブラケット撮影という機能を使って、10数枚連続して撮影した。ブラケット(ずらし)とは、カメラサイドで自動的に絞りやコントラスト、彩度などを3段階ほどずらして撮影してくれる便利な機能である。銀塩にもこの機能があるが、コントラストと彩度はデジカメ特有なもので銀塩カメラではできない。またデジカメはシャッター音がないので、どんなに被写体に寄って写しても目を覚ますことはない。しかもマクロ撮影までできるので、顔ドアップのシーンも撮影できた。そして再度、自室に戻り画面確認をして、もっとも間抜け面に映っているものをチョイスしたのだ。デジカメの良いところは、この取り込んだ画面をさまざまな角度から補正、編集できるところだ。娘の鼻クソシーンは、鼻クソの色合いをより際立たせるため、コントラストと彩度をプラス補正した。妻の寝顔は愛情を込めて、しわとしみが取れる美肌処理と顔が美しくピンぼけするポートレートモードで補正した。そしてついにプリンターで現像である。初めはがきサイズの高品位モードで出力した。こりゃまったく銀塩写真の仕上がりと変わらないではないか。いやむしろ、色合いや質感では、銀塩フィルムを凌駕している。次にA4サイズでの現像。やや被写体の背景のボケ具合に、銀塩のごときシルクのようなしなやかさは見られないが、目を30センチ以上離せば十分鑑賞に堪えるできばえであった。私はこのデジカメを得て、大いなる満足感に浸りながら、新年を迎えることができたのである。

吹き出物

 「あらまぁー、おとーさん、お若いこと。お顔に吹き出物が!。溜まっていらっしゃるわねぇーん。うちでスコーンと抜いてったらぁー」と風俗営業店のオカマ風客引きに、声をかけられた。「この不景気にそんな金はねぇーよ」と独り言をつぶやきつつこのオカマ風客引きを振り払ったのであった。が、しかし、私の顔の吹き出物は、ストレス性の身体反応であるのは確かだ。

 このストレス=吹き出物の原因はあの忌々しい「プレゼン」である。近頃、新企画のプレゼンテーション(発表、お披露目)がやたら派手になってきた。つい数年前までは、企画書は紙を使って作成されていた。それがいまや、パソコンの画面で、画像やグラフ、変形文字がカラフルに踊るのだ。例えば社内のパソコンの達人は、昨年度比での業績の伸びを、にょきにょきと伸び上がるカラフルな棒グラフで説明し、来年度以降の伸びもこれまた色違いの点滅でもって強調する。しかも、バックミュージック付だ。こんなの、紙に棒グラフを書けば、わかることなのに。しかし上の人たちは、すごいすごいと感心している様子。「パソコンであのくらいのプレゼンが出来なきゃ、インパクトないよね」と囁く声がそこここから聞こえてくる。

 それで「なんとかせねば!」と、こう思いつめたら一週間ほどで口の周りに、ストレス性の吹き出物が発症したのだ。そこでともかく私はどういうソフトを使っているのか、若いやつに聞いてみた。すると、「パワーポイントが、いいっすよ」との返事。「そうっすか」ということで、パソコン専門書籍店に飛び込んだ。すると「PowerPoint」のマニュアルがずらりと平積みされているではないか。結局、「はじめてのPowerpoint」と「できるPowerPoint」の2冊を購入した。まあこの「はじめての」と「できる」のシリーズは、皆様も少なからず所持されていることでしょう。あの「課長、島耕作」風イラストに吸い寄せられて購入しちゃうわけですが。

 早速、家で勉強(サービス労働)だ。幸い、購入したパソコンにはパワーポイントが入っていた。なぜかこういうソフトは、必要性を感じない限りクリックすらしないんだな。

「はじめての」からとりかかってみるとこれがけっこう簡単でおもしろい。結局プレゼンというのは、いわばスライドを作っていくことなのだということがわかった。ただしスライドは、画面が動かない。だから、プレゼンはかつての8ミリフイルムもくっつけた動画風スライドということになる。テキスト画面に、画像や動画、音声などのファイルを挿入していくと、「ぽん」と一丁上がりというわけだ。「なぁーんだ、簡単じゃぁねえか!」。プレゼンというのは言論や活字のアニメ化なのだ。

ところで8ミリ動画といえばかつては、会社の慰安温泉旅行の旅館につきもののの裏フィルムというイメージがあった。「フムフムこりゃひょっとすると使えるかもしれんな」と自然にスケベ回路にプレゼンが繋がっていった。私は早速、今までイン(淫)ターネットでかき集めてきた、お宝画像やお宝動画をプレゼンテーションウインドウにぺたぺたと貼り付けていった。もちろん、ただ画像だけを貼り付けるのでは芸がない。そこで、「私のお宝コレクション」という題名をはじめのプレースホルダー(テキストや画像などを入力する雛型ボックス)に入力した。さらにこの題名がより目立つように、ワードアート機能を使って加工した。ピンクの背景に、虹色の変形文字が完成した。いやらしさがにじみ出ていてなかなかよろしい。しかし私はこれでは満足しない。例の企画会議でのプレゼンではこの変形文字が「クネクネ、ヒラヒラ」と動いておった。そこでマニュアルを見ると、「テキストアニメーション」という設定があるではないか。早速この機能を使って、「私のお宝・・」の文字を「クネクネ、ヒラヒラ」動かしてやった。さらに2ページ目以降のお宝画像や動画を「なかなかテクニシャン」とか「顔つきが本気である」などの注釈を加えつつ作成していったのだ。かくして土日をフルに使ってのプレゼンつくりは20数ページに及ぶ大作となって完成した。早速この大作を、1ページ目から「スライドショーの実行」でスタートさせたところ実に見事にモニター上に淫靡な世界が展開されていったのである。その時、私は「若いやつには負けとらん」「おれも、できる!」という、満足感を得たのだ。まあしかしこいつは「プレゼン」というよりも「エロゼンテーション」だな。もちろんこの日以降、顔の吹き出物が取れてすっきりしたことは言うまでもない。

 そしてアナログへ

 パソコンで最も使う機能は、ワープロだ。そしてそのほとんどで、ワードを操作することになる。ところでこのワードだが、どうも罫線などが入り混じる日本語にはしっくりと対応できていない。確かワードは初めの頃その使いにくさから、「ダメソフトナンバーワン」などとけなされていたが、もともとはアメリカ系ソフトメーカーのスタッフが作っていたので、そうなったといわれていた。もちろん、手抜かりのないマイクロソフトだから、その後日本人スタッフによって大きく改良されいまや、「一太郎」といった超優良日本語ソフトをも席巻して日本語ワープロソフトの独占場となっている。いやむしろワードを使えないと、他のマイクロソフト基準のソフトが使い辛くなっているというところまでその独占的地位は進行した。

 しかし、でぇあーるぅ。やっぱり、根本的にワードはアカン。たとえば文章表現の基本的レイアウトの構想は紙の上で練ることになるのだ。そしてそれを「ワード的表現技法」で置き換えて打ち込むという作業を頭の中でやっているのである。これはやはり、表音文字を唯一絶対とする英語と、漢字とかなを主体とした、表意、表音文字文化を持つ日本語の違いから出てくるものだといえる。単純に言って、英語はデジタル化しやすいが、日本語は徹頭徹尾、アナログそのものなのだ。

また縦書きのありえない英語に対して、縦横無尽に書かれる日本語の表現方法も、ワードはフォローし切れていない。またフォントでも毛書体が使われていると、その文章そのものが軽く見えてしまうことも付け加えておこう。

日本語には「縦書きの美学」がある。小説や新聞記事、詩集など、あるいは歴史小説、官能小説、ドキュメントいずれもが縦書きである。どだい横書きの官能小説など読んでいて興奮のしようもない。もちろんワードにも縦書き書式はある。しかし、それは付加的機能であり、本筋の機能ではない。そういえば、ワープロ専用機能が華やかだった頃、縦書き専用画面のワープロがNECあたりから出ていたな。あの頃は、日本語の「縦書きの美学」を素直に受け入れた姿勢がハードに反映されていたのだろう。つまり、アナログ的感性がまだ商品開発に生かされていたのだ。今思えばあのワープロ買っときゃ良かった。

そんなことをぶつぶつ呟きながら、電脳の前に座っていたら、なにやら頭がスコスコになってきた。自分なりに苦労してクリアしてきた電脳ライフは確かにある一面で、便利でスピーディーなものとなった。しかし、究極の充実感というか本物の感動を得ているという実感をもてない。例えば、それは6時間ぐらいかけて、ゲームをクリアしたあとの開放感というよりも倦怠感を覚えるあの感覚だ。バーチャルなデジタル感覚は結局、単純で合理的で他者操作的な満足しか得られないのではないか。そう思うとパソコンライフがなんだか味気ないものに感じられてきた。

インターネットやビデオ映像で見るより実際に見に行く、というアナログ的行動。そのときの感情が思わず字にあらわれてしまう手書きの書類。撮影素子ではない銀塩カメラ操作のメカニックな感触。デジタル処理された「ハリーポッター」ではなくアナログ的手法の黒澤やジョン・フォードの映画。昭和の20〜30年代から生きてきたわれわれオヤジ世代は、今でいうところのアナログ世界を大いに享受してきたのだ。

私は電脳オヤジとして、アナログ世界からデジタル世界へとその感性を切り替えようと努力してきた。しかし、デジタル世界はそんな切り替えの無理をしている私を、せせら笑うがごとく、次から次へとバーッジョンアップして遠ざかっていく。そしてそれに遅れまいと追いかける私はいささか疲れてきた。

そんな気持ちからか、ウィンドウズのMEからXPへの変更を私はまだしていない。また心なしか電脳の前に座る時間が少しずつ減ってきたように思う。ではそのかわりに何をやっているのかというと、本を読むようになった。活字はモニターより目にやさしく、自分で読んだものを解釈する自由感性を与えてくれる。また部屋に閉じこまらず、散歩をする機会が増えた。季節の移ろいが五感全てを通して、からだに降り注いでくる。あるいは友人との夜を徹しての議論。この知的刺激がなんともたまらない。さらにいうとホームページでその人の意見を見るよりも実際に会って聞いたほうが断然おもしろい。

デジタル化、バーチャル化が進む現在、アナログ的感性や生き方がなにやら、贅沢に思えてきた。出会い系メールなどを介在させず、恋心やエロスを相手にそのままぶつけたかつての男女関係にノスタルジーを感じる。「顔じゃないよ心だよ」は、いまや死語かもしれないが、そんな男女のかけひきが懐かしい。

そんなことを考えていたら、なにやら「デジタル鬱」に陥りかけていた私は、「アナログ躁」に切り替わって心が軽くなってきた。さすればここに高らかに宣言しよう。「さらばデジタルよ!そしてアナログへ」。